微分

微分

微分

新居に落ち着いたことで、また鬱な気持ちがぶり返しているのであった。といっても、この気持ちは私の常態のようなものだ。休業にまで至ったアレはむしろ身体が物理的に冷たくなったり震えたりしていた明らかな病気であり、今回は違うのである、多分。

 

原因はもちろんあるのだが、そんなのは些細なことである。大本は、もっと哲学的なことなのだ。何もかもどうでもよくなってしまうという、それも女房が虐めるとか子供が五月蠅いとか家族が、とかいう現実的な問題ではなく、もっと個人的なつまらないオタク的な悩みだ。めんどくさい、という。

 

ここで解説しておくと、めんどくさいというのは余裕がないと出てこない台詞である。例えば養わなければならない家族がいたりしたら、絶対出てこない言葉である。熊に追われて逃げている最中に、誰がめんどうだなどと思うだろうか。こういうのは、昔だったら貴族の次男坊くらいしかない悩みだったはずなのだ。

今は、昔の貴族並の生活をしている連中が大量にいるので、そういう悩みもポピュラーになってきている。引きこもりとかフリーターだけではなく、ちゃんとサラリーマンやっていてもそうなる可能性があるのだ。社会的な仕組みが出来上がっていて、ほとんど負荷をかけずに歯車が回るようになってしまったからだ。

 

それだけに、悩みは深い。はっきりとした原因がある悩みなら、その原因を取り除けば晴れる。(熊を撃ってしまうとか)しかし、一見何も悩みがないように見えたり、あるいはまずまず順調じゃん、と思える生活をしていると、それでもある悩みなんか取り除きようがないのだ。ま、社会のどん底に落ちてみればたちまち無気力からは回復しそうにも思えるが……違う無気力になりそう。

 

というわけで、私も若きウェルテルとか車輪の下とかデンマークの王子とか、そういう世間一般からみて何で? と思われそうな悩みに陥っているのである。自己陶酔か自己憐憫か。いや違う。単にめんどくさいだけだ。というより、「これからめんどくさいことになりそうだ」という予感いや妄想に襲われているのである。

 

そういう時は、微分しなければならない。

 

もちろん私もフーリエ級数で挫折したものの、大学の物理学科で2年も踏みとどまった男であるので、この場合の「微分」というのが間違った用語であることは承知している。フィーリングですよフィーリング。私は文化系だし。

 

めんどくさいことを、まず要素要素に分解する。そして、そのひとつひとつについて(真面目にやると疲れてめんどくさくなるので)適当に「なんだ、大丈夫じゃない」と思えるまで考えるのだ。最悪の場合でも死ぬ程じゃないので、要素を全部誤魔化してしまえば解決である。万一解決できなかった場合でも、疲れてよく眠れる。

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