引きこもりから立ち直った

引きこもりから立ち直った

引きこもりから立ち直った

テレビで「引きこもりから立ち直った」若者の話をやっていたのである。

 

その若者は、中学を出た後高校には進まず、しばらく引きこもった後で学年や決まったカリキュラムのないフリースクールに入り、大学も出て、この度引きこもり支援のNPOを立ち上げたらしい。大したものである。というより、多分進路としてはそっち方面しか選べなかったのだろう。ニュースでは「引きこもりを助けるために」などという美談になっていたが、おそらくはやむを得ない選択だったのだ。

 

なぜか。高校の存在意義は「意味がない(としか思えない)つまらないめんどくさい事を強制的にやる」ことに馴れさせることにあるからである。自分が高校に行っている時には気づかなかったが、その後企業に就職してみて、ああ、あの退屈な時間はこのためだったのか、と判ったのだ。会社で仕事するのって、少なくとも若い頃は高校に通うのとあんまり変わらない。

 

いやそこまで言っては言い過ぎか。仕事してるんだから、やはり高校とは違うのだが、それでも「義務ではない」ということでは共通している。高校も会社も、辞めようと思えばやめられるのだ。強制されて行っているわけではない。ただし、辞めると色々困ることになるから、大抵の人は我慢して通っているわけである。あ、仕事が好きでたまらないとか、一旗あげちゃるなどと思って燃えている人は別ね。

それは、ただどっかに通ってシコシコやる、というだけのことではない。シコシコ続けるのは、どんな仕事だろうが勉強だろうが共通して必要な作業なのだが、それを学ぶのが高校である。サラリーマンだけではなく、自由業や職人の人でも、やっぱり基本はシコシコである。いきなり完成なんてのはインチキであり、一時はうまくいっても続かない。つまり継続的な収入にはならないのだ。

 

そうしてみると、高校というのはライトノベルに出てくる恋愛相談所や異世界の入り口と違って、ただもう生徒に「嫌いなことでも我慢するのだよ」ということを教えるためにのみあることが判ってくる。ここでそれを学ばないと、後は社会に出ていきなり鉄拳制裁なのだ。まあ普通の人なら何とか耐えられるのだが、それでも高校を経ると経ないとでは殴られたときのふんばりが違う。

 

高校は中学より高度な知識を学ぶためにあるのではないか、と思うだろう。違うのだ。日本の場合、カリキュラム構成は中学校とほぼ同じだし、そういう経験はすでに義務教育で積んでいるので今更繰り返す必要性は薄い。それに高度な勉強といっても、高校レベルではまだ学問的には基礎の基礎だ。大学でも学部レベルでは基礎なのだから、高校卒業の学力だけで、その分野で何かが出来るはずがない。つまり、高校で学ぶ大部分のことは、大学や社会ではほとんど役に立たないことになる。

 

あの広範囲で何の役に立つのか不明で、興味も持てないし試験が終わったらすぐ忘れてしまうような知識を延々と詰め込み続ける、という経験が高校に提供できるすべてなのだ。知識ではなく、やること自体に意義がある。その他の方法では、若者たちに忍耐を教えることができないのだ。大学に行ったらまったく別の技能(サボり、諦観、要領の良さなど)を学ぶ必要があるので、その時までに忍耐することを身につけておかないと、かなりの人が挫折する。

 

だから、フリーなスクールでフリーに学んで大学に行った人は、多分普通のサラリーマンにはなれないだろう。働くとしたら、自分のパッションで無理矢理自分をかき立てる仕事でないと、やってられないだろう。自由というのは恐ろしい罠なのである。別に社会が許さないとかではないが、他の連中がみんな忍耐している時に自由にやっていたら、いずれは行き詰まる。我が身で経験したから、間違いない。(いや私はちゃんと高校出ましたよ。校内で引きこもっていたけど)

 

アニメ「まなびストレート!」は、高校に行く人がむしろ珍しくなった未来社会(大学には行く)について描いているが、そういうフリーな人が多数派となった社会って、今みたいな企業は存続できなくなっているだろうなあ。忍耐が必要な仕事は少なくなって、なんでも機械がやってくれる世界になるのか。あるいは、みんな自分が好きな事をパッションが吼えるままやる社会なのかなぁ。

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